【日本画】狩野派(かのうは)とは何か?作品の特徴、歴史をわかりやすく解説します!

【日本画】狩野派(かのうは)とは何か?作品の特徴や歴史をわかりやすく解説します!

こんにちは、日本画家の酢田こいちです。

今回は、狩野派(かのうは)についての解説です!

日本画と一言で言っても意外に多くの画風がありますよね。

昔から、画風の種類に名前がついていました。

ジャンル分けとも言うこともできるかもしれません。

 

今ではより多くの作家、作品が増えたことで

ジャンルは非常に多岐に渡り増えていますが

○○派、と言い切れるものは少なくなっているかもしれません。

逆に、「ジブリっぽい」「村上隆っぽい」など

特定の作風や作家を名指しで○○に似てる、

と言った意味合いで使うことが多いような気がします。

 

今回ご紹介する狩野派、

約400年続いたと言われる

非常に長く続いた流派です。

 

皆さんは狩野派といえば何を思い浮かべますか?

屏風に金箔

お寺や、THE和のイメージでしょうか?

 

美術館で企画展が行われていたり、

テレビで特集されていることもありますが

いまいちはっきりとこういう作品のものだ!

と言い切ることが難しいのではないでしょうか?

 

ではどのような作品の特徴があるのか?

狩野派特有の文化などを

ここから詳しく、わかりやすく解説していきます!

 狩野元信「唐子遊び図扇面」

狩野派の歴史〜始まりから約400年続いてきた流れ〜

室町時代

始まりは、室町時代

初代は、室町幕府の御用絵師だった狩野正信と言われています。

また彼はこの時代にしては非常に長生きで

通説では97歳まで生きたと言われています。

 

彼の作風はやはり漢画がベースとなっており、

この特徴は狩野派全体の特徴となった部分といえます。

 

2代目の狩野元信は、初代狩野正信の嫡男として生まれ、

狩野派を栄えさせる礎を作り上げた人物で

縁起絵巻や大和絵風の金屏風などそのほかにも

バラエティ豊かな作品を世に生み出していきました。

 

安土桃山時代

3代目狩野松栄(=狩野直信)は、狩野元信の三男として生まれました。

長男(早逝)、次男(なぜ継がなかったか不明)

この2人を飛ばして狩野派3代目となった人物です。

狩野松という名で活動しており、こちらの名が広く知られていたようです。

彼には弟子が複数おり、

弟子たちは関東で活動し、小田原狩野(おだわらかのう)と呼ばれていました。

 

4代目狩野永徳(=狩野州信かのう くにのぶ

この時代の代表とも言える画家です。

織田信長や、豊臣秀吉から作品を依頼され、

想いに応えた作品を作った人物といえます。

 

5代目狩野永徳

非常に有名な「洛中洛外図屏風」を描いたとされる人物です。

豪快で大きな作品が多く残っています。

 

江戸時代

前期

狩野永徳の後を継いだのは2人で、

長男の狩野光信と次男の狩野孝信でした。

長男の狩野光信は大和絵風の作品を得意としたようです。

彼らの叔父は2人おり、

兄の狩野宗秀は、彼らの後見をしました。

弟の狩野長信は、江戸幕府に仕えるため拠点を移し

江戸狩野の一人として活動していくこととなります。

 

のちに、

長男の狩野光信が先に亡くなると

次男の狩野孝信が狩野派を率いるようになります。

狩野孝信の3人の息子はそれぞれ狩野派の絵師として活動しました。

狩野 探幽(守信) 鍛冶橋狩野家の祖

狩野 尚信  木挽町こびきちょう狩野家の祖

狩野 安信  中橋狩野家(宗家)の祖

 

中期以降も狩野派(狩野家)は続きました。

特に、狩野 探幽は多くの弟子を取ったため狩野派がより続く要因の一つと言えます。

 

狩野派で有名な画家

 

狩野元信

「琴棋書画図屏風」

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/44673

 

 

狩野永徳

「唐美人唐子図屏風」

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/45695

 

 

狩野 探幽

「四季山水図屏風」

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/53009

 

 

まとめ

ここまで、狩野派の歴史と

狩野派の有名な作家をご紹介してきました。

狩野派とは、血縁で継承され

約400年もの間活躍を続けた絵師の集団です。

幕府からの依頼を受ける「御用絵師」としての立場も

非常に長く狩野派を継続させる理由の一つとなっていたのではないでしょうか。

 

彼らの作品の特徴はそれぞれ

室町時代のものは、墨画や漢画の要素を強く感じる作品となっていて

安土桃山時代のものは、室町時代から比較すると

金箔を使用するようになり豪華な印象を受けます。

 

江戸時代前期のものは、漢画ベースの絵師と

大和絵をミックスさせた絵師とが並行しており各自が

狩野派の中でも独特の成長をしていることがうかがえます。

 

江戸時代中期からそれ以降のものは、より枝分かれして

さらにさまざまな画風、作風が増えていったと考えられます。

 

ここまで

血縁で広がり、継承されてきた狩野派の

大まかな流れと全体図をお伝えしてきました。

 

狩野派は、

日本最大の絵師集団として第一線で活躍し

当時も人気を博し

現代でも美術館でも定期的な企画展が行われるほど人気です。

 

 

実際に美術館などで見られる機会に出会ったら

少しでも思い出していただけると嬉しいです。

 

それでは素敵な日本画ライフを!

 

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