もくじ
日本画と浮世絵を比較!違いを解説していきます
長沢芦雪や円山応挙は「日本画」でかわいい仔犬を描き、
今ではグッズ展開されていたり、展覧会の目玉として注目されていたりします。
歌川国芳、東洲斎写楽や葛飾北斎などでお馴染みの「浮世絵」は海外でも多くの人気を得ました。
単語としては耳馴染みのある「日本画」と「浮世絵」ですが
詳しいことは意外と知らない…
この2つの違いは一体なんでしょう?
これからそれぞれを比較して、何が違うのかをみていきましょう!
大きな違いは
1.生まれた時代(歴史的背景)
2.制作体制とジャンル
3.技法と使用画材
この3つです。
以下で詳しく解説していきます!
生まれた時代
浮世絵が誕生したのは江戸時代、日本画という概念は明治生まれです。
さらに、歴史を含めてみていくとかなりの違いがあることがわかります。
浮世絵
浮世絵という言葉が生まれたのは江戸時代です。
安定した徳川幕府の治世では江戸の町民たちに娯楽を楽しむ余裕ができました。
歌舞伎や相撲など、今でも続く伝統から、浮世絵もまた娯楽として生まれました。
浮世絵は江戸時代当時の町民の生活(風俗)、情景が主題とされます。
浮世という単語は「この世」という意味も含みますから、
名前の意味もぴったりはまっていると言えます。
浮世絵という言葉の中にある「うきよ」
この言葉は、戦乱の多かった江戸時代以前では「憂き世」とされ
辞書で意味を引くと
うき-よ 【憂き世・浮き世】
名詞
このような暗い意味が主な解釈でした。
しかし、江戸時代は平和で余裕のある暮らしができたことも影響し、
「憂き世」は明るい解釈の「浮き世」へと変化していきます。
うき‐よ【浮(き)世/憂き世】
「うきよ」という言葉は常にこの世という意味を含みつつ、
時代の変化とともに解釈も変化してきました。
そんな言葉の入った当時の風俗や、情景を描いた浮世絵は、
人々に親しまれて今なお愛されています。
東海道五十三次 下の坂 – Sakanoshita, from the series “Fifty-three Stations of the Tokaido (Tokaido gojusan tsugi)”
日本画
日本画という概念、単語は明治生まれのものです。
明治時代に西洋諸国との交流が盛んになり
明治政府が米国からアーネスト・フェノロサを招いたところから始まり
日本国内の絵画と西洋の絵画を分けるために作られた単語で
当時は日本国内の絵画全般を指していました。
しかしフェノロサ自身は浮世絵は「日本画」に入れないとしたようです。
現在では、解釈が変化し一般的には
岩絵具、膠、和紙か絹を使用したものを日本画と呼んでいます。
ただし、現代日本画には西洋の技術を取り入れたものも増えているので
ひとことで日本画といっても、必ずしも画材のみで判断していない場合もあります。
さか泰山府君 白妙 桃灯 恩春秋両園櫻花譜書
[松平定信] [編]狩野良信 写出版年月日明治17 [1884] 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」 (https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/)
制作体制と絵の扱われ方
浮世絵の絵の扱われ方
浮世絵の扱われ方は当時と現在とではかなり変わっています。
当時はポスターや写真集のような大衆の手軽な文化でしたが
現在では伝統技法として、また貴重な「美術品」として扱われています。
浮世絵の制作体制
江戸時代の浮世絵制作の体制は、浮世絵の種類と同じくそれぞれ2種類ありました。
浮世絵の技法については後ほど触れます。より詳しく知りたい方はこちら
1つは依頼者と絵師間のみでやり取りされる自由に描く事ができる肉筆浮世絵。
もう1つは依頼を受けて木版画にすることを前提として描かれる浮世絵版画
もしかしたら浮世絵版画の体制は漫画業界や出版に近いのではないでしょうか。
肉筆浮世絵(にくひつうきよえ)
これは絵師が個人の依頼により描いたもので、木版画にはならず
絵師が描いた絵がそのまま受け渡されました。
浮世絵版画(うきよえはんが)
これは多くの人々が携わることで出来上がるものです。
流れとしては
①版元(依頼者であり現代出版業界の編集者のようなもの)から絵師に依頼があり
②絵師が版元絵(木版画の元となる原画)を描き、
それを元に彫師と摺師に木版画を作ってもらいます。
③彫師と摺師は、絵師の元版絵から木版画を制作します。
出来上がったものは①の版元に納品します。
④絵師と彫師、摺師が②で制作し、版元に納品されたものは
版元から小売や卸におろされ、店頭に並びます。
日本画の絵の扱われ方
日本画の絵の扱われ方は、現在の日本画と大きく変わらないのではないかと考えます。
日本画は中国の水墨画や西洋諸国の油絵などからも影響を受けています。
日本画という概念、言葉ができたのは明治時代です。
西洋文化が入ってきたことにより多くの文化が発展し、
美術や芸術もどんどん発達していったのです。
作家が存命であり、かつ美術品として飾る、展示するという文化が入ってきています。
西洋の技術とともに「絵画」という考え方が入ってきたのです。
浮世絵は現在の写真集や雑誌、ポスターのような立ち位置でしたが
日本画は解釈や意味が少しずつ変化していても
西洋の文化を取り入れていることで現在まで
絵としての扱われ方は大きく変わっていないと言えます。
日本画の制作体制は江戸時代のように確実に依頼者(幕府)がいるわけではありません。
その代わりに、西洋の文化を取り入れたり画壇を設立したりと新たな試みが行われました。
美術を含めた文化が発展を遂げたのです。
日本画の制作体制
日本画の制作体制は浮世絵と比べると制度としては
ほとんどありません。
江戸時代には絵師たちは版元や幕府などから依頼を受ける事ができましたが
明治ではそのような制度はありませんでした。
日本画という概念が登場しし、諸外国のさまざまな技法が取り入れられました。
そのような中で新日本画創造運動や画壇の存在は大きく、
狩野派も日本美術界を牽引しました。
さらにこのような動きから美術の学校が作られました。
日本画は常に流動的で、浮世絵と比べると固定された制度はありませんでした。
技法と使用画材
浮世絵
浮世絵には肉筆浮世絵と浮世絵版画という2種類があります。
- 肉筆浮世絵
筆で描かれた浮世絵のこと。
絹や和紙に絵師が直接描いており、原画をそのまま飾れるように掛け軸などに加工されました。
肉筆浮世絵は一点ものであり、高級品だったと言えます。
肉筆浮世絵の画材は現在の「日本画」で用いられる顔料や膠、胡粉などが使われています。
- 浮世絵版画
町民、一般庶民たちの間で流通しました。
その当時の風俗や人気の役者、遊女などが木版画で大量生産され、
安く手に入れる事ができ流行りました。
浮世絵版画は、絵師がモノクロで描いた版元絵(木版画の元となる原画)から
彫師、摺師が木版画を作ります。
画材は肉筆画と変わらず、現在の「日本画」でも使われている顔料や
膠を用いて彩色を行っていました。
日本画
日本画の技法はさまざまで、基本的に使われる画材は
支持体として和紙か絹に描き、
岩絵具、膠などを用いて彩色を行います。金箔、銀箔を使用する場合もあります。
日本画について詳しく知りたい方はこちら
まとめ
ここまで日本画と浮世絵の違いを解説してきました。
浮世絵は、「日本画」という言葉の登場する明治以前の
江戸時代からあった言葉です。
日本画は明治時代に外国との交流から生まれた言葉、概念です。
大きな違いは、
1.時代(生まれた時代)
・浮世絵は江戸時代生まれ
・日本画は明治生まれ
2.制作体制と絵の扱われ方
・浮世絵は肉筆画と木版画の2種から体制が若干違いますが、
基本的には版元や個人からの依頼を受けて制作します。
・日本画という言葉の解釈が変化していても大きく変わらず
絵画として扱われていたと言えます。
3.技法(使用画材)
・浮世絵は彫師や摺師が携わる木版画と
絵師のみで完結する肉筆画(絵師による手描きを納品する)があります。
・日本画は岩絵具や膠、和紙、絹で制作され、
金箔などを使用することもあります。
以上のことをまとめた表を作成しました。参考になれば嬉しいです。
今回の解説で、浮世絵は浮世絵として日本画は日本画として
それぞれの個性や違いを知っていただけたかと思います。
実は同じ日本生まれの「絵」でもここまで違いがあるのです。
また、「日本画」の中でもいくつかの流派に分かれていますので、
それぞれを比較したものをお見せしたいと思います。
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