上村松園は、
女性初の日本画家であり
女性で初めて文化勲章を受けた経歴を持つ
歴史を動かした画家といえます。
この記事では、
そんな上村松園の経歴や背景を見ていきながら
作品の特徴や文化との繋がりを解説していきます。
やはり絵は直接見た方が
迫力や感じ方がまるで違いますから
実際に見られる、
また過去に企画展を行っていた美術館をご紹介します。
それでは
女性初の日本画家、上村松園について
詳しく見ていきましょう。
上村松園の生い立ちと経歴
上村松園は、明治初期に生まれました。
明治8年〜昭和24年(1875年〜1949年)
本名は、上村 津禰(うえむら つね)
女性初の日本画家として大成した人物です。
生まれ
明治8年(1875年)
京都の※葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれます。
※葉茶屋とは:現代のカフェのようなものでお茶屋と同じ意味でもありますが、関西とくに京都では「お茶屋さん」というと「舞妓さんや芸妓さんと遊ぶお店」となってしまうのでカフェは「葉茶屋(はぢゃや)」と呼ぶことがあるようです。
画学校への入学
明治20年 (1887 年) 12才
京都府画学校に入学し
鈴木松年に師事します。
このとき、「松園」という雅号を定めます。
そして鈴木松年が画学校を辞めると同時に
上村松園も鈴木松年についていく形で画学校を退学し
その後も師事を続けます。
鈴木松年(すずきしょうねん)
不明 – 国史大図鑑編輯所編『国史大図鑑 第5巻』吉川弘文館、1933年10月25日。<a href=”https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8″ class=”extiw” title=”ja:国立国会図書館”>国立国会図書館</a>デジタルコレクション:永続的識別子 <a rel=”nofollow” class=”external text” href=”http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920452″>1920452</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
受賞と画壇デビュー
明治23年(1890年)15歳
画壇デビューを果たした
第3回内国勧業博覧会、一等褒状を受賞します。
さらに出品した受賞作品「四季美人図」は
ヴィクトリア女王の三男
アーサー王子に作品が購入されました。
2人目の師
1893年(明治26年)18歳
幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事するも
幸野楳嶺は1895年(明治28年)には亡くなったため
上村松園は師事先を変更しました。
幸野楳嶺(こうのばいれい)
Unknown – Kyoto City University of Arts – <a rel=”nofollow” class=”external free” href=”https://www.kcua.ac.jp/20140705_shuzohinten_rekishinookurimono-3/”>https://www.kcua.ac.jp/20140705_shuzohinten_rekishinookurimono-3/</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
3人目の師
明治28年(1895年)18歳
竹内 栖鳳(たけうちせいほう)に師事しました。
竹内 栖鳳(たけうちせいほう)
不明 – Yamatane Art Museum, Tokyo, パブリック・ドメイン, リンクによる
長男の誕生
1903年(明治36年) 28歳
上村松園は、
未婚の母として長男を出産します。
長男はのちに上村松篁(しょうこう)として
日本画の道を進むことになります。
謡曲との出会い
1914年(大正3年)
能楽師である金剛巌に謡曲を習い
のちの作品に反映されたと言われています。
その作品が「焔」、「花がたみ」の2作品です。
「花がたみ」
母の死
1934年(昭和9年)
上村松園母、仲子が亡くなります。
父は幼少の頃に亡くなっており
母は再婚せず上村松園と姉をひとりで育て、
上村松園を支えつづけていました。
帝国芸術院への入会
1941年(昭和16年)
※帝国芸術院 の会員となります。
※帝国芸術院とは
〘名〙 芸術の発達を図り文化の向上に資することを目的とした合議機関。帝国美術院を母胎として昭和一二年(一九三七)に新設。同二二年日本芸術院と改称して、その組織運営を一新した。
出典:コトバンク
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
疎開
1945年(昭和20年)
第二次世界大戦激化のため
長男の上村松篁(しょうこう)の画室
唳禽荘(れいきんそう)に疎開します。
文化勲章受章
1948年(昭和23年)
女性として初めての※文化勲章を受章します。
※文化勲章とは:文化の発達に関し特に顕著な功績のあるかた
出典:政府広報オンライン
見た目に美しく儚げな印象や
繊細なタッチが非常に魅力的な上村松園の美人画
ですが画題にしているものは
「女性の誇り」といえます。
ただ美しいだけではない、そこには一本筋の通った
誇り高い女性像が描かれています。
例えば、「遊女亀遊」という作品
こちらは米国が日本に入ってきて、
侍ですら米国人には頭を下げる幕末の時代
実在した遊女の亀遊にアメリカ人の客が来て
亀遊は「アメリカ人の客を取るくらいなら死ぬ」と言って
自害した、というエピソードを画題とした作品です。
その辞世の句として残っているのがこの
「露をだにいとふ倭の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ」
という文です。
作品はこちらからみられます。
風俗画
上村松園は人々の暮らしを描いた風俗画も残しています。
「序の舞(じょのまい)」
<a href=”https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E4%B8%8A%E6%9D%91%E6%9D%BE%E5%9C%92″ class=”extiw” title=”w:ja:上村松園”><span title=”日本の女性画家”>上村松園</span></a> – Tokyo National University of Arts and Music, Tokyo, パブリック・ドメイン, リンクによる
販売場所は1箇所だけではありませんが
例として以下を挙げておきます。
上村松園の美しい作品を楽しめるのは素敵ですね。
上村松園は男尊女卑が激しく
女性の生き方を一方向に決められていた時代に生まれ
美しい作品を次々生み、残しました。
彼女の残した功績は
美しく素晴らしい絵画だけでなく
「絵を描くこと」で
社会を切り開いてくれたところにもあるように思います。
自由に日本画を描ける環境に感謝ですね。
それでは良いアートライフを。
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